ごあいさつ

ごあいさつ 藤波 尚美(ふじなみ なおみ)主任牧師

基督兄弟団小田原教会2代目牧師の藤波尚美です。

初代牧師の藤波勝正・喜久子の娘です。

牧師の娘ですので、ごく自然に教会の集会に出席し、祈ったり賛美歌を歌ったりしていましたが、小学校3年生のとき、イエス・キリストを自分の救い主と信じました。

大学卒業後、牧師になるためにキリスト教カウンセリングを学ぼうとアメリカに留学しましたが、カウンセリングは向いていないと思い、帰国しました。

そして、牧師も無理だと思い、キリスト教出版社で編集の仕事をしたり、フリーで編集や入力の仕事をしたり、大学院で学んだりしてきました。

留学から20年たち、神様からもう一度声をかけていただいて、牧師への道を歩み始め、2012年に基督兄弟団土浦教会と小田原教会に遣わされ、2013年からは小田原教会専任となりました。2017年からは主任牧師です。

もともと小田原教会の付属幼児教育施設だった認定こども園こひつじ学園の理事長・宗教主事も務めています。

ごあいさつ 藤波 勝正・喜久子(ふじなみ かつまさ・きくこ)(名誉牧師)

基督兄弟団小田原教会の初代牧師です。

藤波勝正(写真左下)は、湯河原町で育ち、小学生時代にイエスを救い主として信じました。


その後、教会から離れ、大学の時は学生運動をしていましたが、教会に戻り、大学卒業後は神学校で学び、牧師となりました。


喜久子(写真右下)は、東京で育ち、大学生の時に信仰を持ちました。大学卒業後は、リクルートの前身の会社で働き、その後、神学校で学んで、牧師となりました。

1964年に結婚し、1965年に勝正の故郷とも言ってよい小田原で教会としての活動を始めました。
1967年には現在の土地を借りて、礼拝堂兼園舎兼牧師館を建築し、教会付属の幼児教育施設の運営も始めました。

最初は家族だけだった教会はだんだんと大きくなり、2回の礼拝堂建築をしました。
付属幼児教育施設はこども園となり、1000人を超える卒園生を送り出しました。

2017年に引退し、名誉牧師となりました。

私が教会に来たキッカケ

S.H.さん

 イエス様と出会う前は自分中心でしたから、すべてがうまくいきませんでした。次女誕生後、家族間の対立が絶え間なく続きました。悩みの月日が流れる中、1979年11月に、近所のこひつじ学園を運営する小田原教会で映画伝道集会があるから見に来てくださいと、園児の母親から誘われました。
 もともと教会とはどのようなところなのか興味があったので、チケットを300円で買い、初めて教会に行ってみました。「塩狩峠」の映画で、惜しみなく与えてくださる神様の自己犠牲の愛に満たされました。その時は、神様の愛とは何か分かりませんでしたが、教会が気になり、礼拝にも出席するようになりました。信徒の皆さんが優しく接してくださり、とても気の休まる場所となりました。
 初めて教会でクリスマスを迎えるころに、牧師に数々の悩みを打ち明けることができました。私の一方的な話ばかりでしたが、牧師は優しく「自我を強めるのではなく、イエス様が愛してくださるように、夫を尊敬して大切にしていきましょう」と教えてくださったのです。また、みことばも与えられました。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き16章31節)
 私は悩みながら自分に疲れ、自分も苦しみ、他人も苦しませていることを赦してください。この苦しみの中から救い出してください。イエス様は私の救い主です」と信じて祈りました。1980年4月6日のイースター礼拝の日に洗礼を受けました。主の恵みに感謝します。

K.M.さん

 小田原教会には、教会付属幼稚園として始まった「こひつじ学園」があります。キリスト教のことを何も知らずに過ごしてきた私が教会と出会ったのは、息子がこのこひつじ学園に入園したためでした。
 入園から程なく、教会の母親向け集会である母子草会にでかけてみました。藤波尚美先生、勝正先生、喜久子先生のお話に日々の生活を助けられ、もっとお話を伺いたいと思うようになりました。また夏休みからは息子とともに教会学校にも通い始めました。明るく温かい雰囲気と朝の教会の清々しさは、大人の私にも毎週の楽しみになりました。
数か月たった頃、小さな集会で先生が祈りについてお話になりました。当時の私には、祈りは特別な方の特別な言葉に思われ、自分とは縁遠いものでした。何を祈ればいいのか、どう言えばいいのかわからないのです。それでも祈りが気になる自分に気づかされました。
 『「祈りは初めて」という人のための本』をお借りして読み、祈りは周りの人が聞いていると思うと意識してしまうけれど、ただ神様だけに向かって、ただ正直にお話しすればそれでよいのだ、とわかりました。
 冬の夜、神様にお話ししてみようと思い立ちました。話し出すと自然に自分の罪について話していました。そして「赦してください、助けてください」と言いました。言って初めて「ああ私はこんなにも赦してほしかったんだ、こんなにも助けてほしかったんだ」と気がつきました。そして、赦しを乞うことなどできない、してはならないと思っていた私がそれをできたのは、イエス様が私のこの罪のために十字架にかかってくださったからなのだと知りました。
 礼拝に出席するようになり、聖書を読み始めましたが、それでもなかなか信じ切るというところまでいけません。
 そんな私でしたが神様はその「時」を備えていてくださいました。7月、礼拝メッセージで、創世記12章、エジプトへ行ったアブラムが妻サライを妹と偽る場面が語られました。どのように話が進むのか、どんな結末を迎えるのかと心奪われました。正しくないことをしたアブラムをなぜ神様が愛してくださるのか、自我の塊である私には納得がいかなかったのです。先生のお話が、人知を超えた神様の愛の大きさ、どれほど真実なお方であるかというところへ達したとき、私は打たれて自分が粉々になるのを感じました。神様の前にひれ伏しました。それは降参という感覚でした。とても甘美な降伏でした。それ以来、信じる気持ちが揺れることはなくなりました。
 翌年、家族の了解を得られ受洗しました。かつては想像だにしなかった未来を私は生きています。いえ、主によって生かされています。赦されて救われて、今ここに生かされています。